マコへの手紙

愛と死をみつめて 終章』も読み終わった。これで、ドラマ『愛と死をみつめて』の原作となる3つの著作を読了したことになる。
現在も健在なマコ(河野実さん)に手紙を書きたくなった。以下、下書きのつもりで書いてみる。

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「本物の愛」という言葉をよく耳にしますが、愛には本物も偽物もなく、表現の仕方が人によってただ違うだけなんだと思います。

3月18・19日に放送されたテレビドラマ『愛と死をみつめて』を拝見して痛く感動し、原作となる書籍3冊を購入して一気に読み終えました。それらを通じて感じた事を(一方的ではありますが)河野さんに伝えたくて筆を執りました。(当時の河野さんの事を以下マコと記します)

みち子さんは同情される事を嫌うが為に最初はマコの愛を拒むかのように振る舞いますが、実はそれはマコの行く末を案じての行為でしょう。相手を気遣うが故の行動、愛情表現だと感じました。
一方マコは、青年特有である突進型の愛情表現をしています。なぜかくも不器用なのかと思う程とにかくストレート。こう書けば相手が気に入ってくれるだろうなどという戦術は微塵もなく、自分の思いを素直に文字に託しています。でも、そんな実直さ無骨さがあったからこそ、逆にみち子さんの心を射止められたのではないのでしょうか。

才気に溢れるみち子さんが若くして死に至ったのはとても悲しい事ですが、でも、みち子さん自身が書いているように、不治の病にかかったからこそ彼女はマコの思いを受け入れる事が出来、男女の愛を知る事となりました。これ自体は非常に幸せな事だと思います。「可能性がある限り生きて欲しい」というマコの強い思いがみち子さんの決断を促し、結果的には二人の愛を成長させましたよね。そんな二人の行動を周りも温かく見守ってくれていました。短い期間ではあっても、「生きる」という共通の目標に向かって支え合った二人をとても羨ましく思います。

1962年9月下旬に私は生まれました。みち子さんが大手術を行う丁度1ヶ月あまり前です。当然偶然なのですが、40代半ばになった今の私がみち子さんの短い人生を初めて知り、その人の人生の転機と私の出生の時期がとても近い事に何か運命的な結びつきを見つけ出そうとしてしまう思考を自ら禁じ得ません。
私が生まれた当日のみち子さんの日記には、「だけど、四年間、いつもいつも夢を見ていた。回復の可能性のある夢を。でも、これからは毎日、毎日、不可能の中に一抹の神だのみ的な望みをかけて生活せねばならない。何に喜びをみつけて生きていくのか、その目標が立たない。」と書いてあります(『若きいのちの日記』大和書房)。 まさに絶望のどん底であり、その二日後の日記には「マコとの交際もよそう」とさえ書いています。
ところがそのわずか一ヶ月後、「最高に幸せだった五日間」の最終日となる10月20日には、「私がそんな顔になって社会に出るのが嫌なら、山の奥で二人で暮らそうというマコ。私はもう、マコの愛情なしでは生きていけない。」と記しています。人の愛を知り、その支えによって生き続ける決心をしたみち子さんの何と愛くるしいことでしょう。

私もだいぶ歳を取り、人間の心のひだが理解出来るぐらいには大人になりました。だから、出版を通じて知り合った女性と結婚した時の河野さんの気持ちは何となく解るつもりです。そしてその結婚をマスコミがなぜ叩いたのかも。
「自分の死後であってもマコには幸せになって欲しい」というみち子さんの気持ちを一番理解しているのは河野さんだと私は思います。その時の河野さんにとって何が幸せなのかを決められるのも河野さん自身でしかあり得ません。その河野さんが取った行動は、亡きみち子さんの意志を当然尊重しているに決まっています。なぜなら、それがみち子さんに対するマコの愛情表現なのだから。
一方、愛情表現を固定化して考えてしまう人々(主にマスコミ)は裏切りだと感じたのでしょう。「ミコに対する愛は永遠ではないのか!」と。愛情さえプロパガンダにしてしまう人たちが、スローガンと異なるように見える行動に嫌悪感を抱いてしまう事もまた、今の私には理解出来ます。もちろん、そんな固定概念は「大きなお世話」ですが。
河野さん、ミコに対する永遠の愛を貫きたいからこそ「生きて幸せになる」んですよね? そしてその気持ちを受け入れてくれる人を第二の伴侶(あくまで気持ちの中の)としてきっと選んだのだと勝手に想像しています。そしてそんなあなたは素敵です。「ニクイね、酋長!」(すいません)

続く